| Photographer | 根本 忠 | Writer | 根田 真児 | Navigator | 吹越 満 | 吉田 朝 | ||||
昼下がりの庭園に落ち着きはらった吹越が紅茶を飲む。カップを置き、顔を上げるとちょうどその目線に吉田の姿があった。
「今日もこちらでしたか。」
そう言いながら腰を降ろす吉田。
「ええ。」
「この前の写真のTrap、苦労させられました。」
その言葉に苦笑して照れる吹越。
「今日もあなたのTrapを楽しみにここに来ました。」
「じゃあ、挑戦してくれるんですね。」
「ええ、そのつもりです。」
吹越は物語を始める。
「物語は出てくる登場する人物の数だけストーリーができるものなんだよ。それが面白い物語ならなおさらね。」
嬉しそうに語る吹越とそれを微笑みながら聴く吉田。
「特に男女の物語はお互い全く別のストーリーを作ってしまってることがある。例え、愛し合う2人でも。更に2人だけの秘密があったとしたら、男は男の、女は女の、それぞれ勝手なストーリーを作ってしまう。」
「意味深な話ですな。」
「今回は女に翻弄される男の物語。追い詰める女、詰め寄られる男。1つの物語を2つの視点で見るとそこに隠された面白い真相が浮かび上がる。」
「それが今回のTrapなんですね。」
吹越は1枚の写真を取り出した。若い女と女の頭を背後から両手で押さえつける中年の男の写真であった。
「今日の物語の主人公はこの神谷信一郎と小泉さやかの2人。2人の関係は既に1年を越えている。大学病院で医局部長の地位にある神谷。不倫を承知で神谷を心の底から愛するOLのさやか。しかし、2人の関係は微妙にずれてきている。物語は男の視点から始まる。」
吹越は物語の詳細を話し始めた。
「神谷には妻も子供もいる。それに社会的な立場もある。それをさやかもわかって付き合っていた。そこまではまぁ、どこにでもある不倫の関係だね。しかし、2人には人に言えない秘密の関係があった。」
吹越はSMボンデージの衣装を身にまとう女の写真を提示した。
「それは常に新しい刺激を求めるあまりの行為だった。でも1年が過ぎ、さやかが結婚を望み始めたことで、2人の感情のバランスが崩れ始めたんだよ。」
黒い下着姿の女、目隠しされた女、と吹越は写真を出しながら説明を続けた。
「しばらく会えなくなりそうだ。」
「何故です?」
さやかから少し距離をおこうとする神谷。しかし、さやかには受け入れられない話だった。
N:私には少しだけ変わった趣味がある。自分では少しも変わってるとは思わない。だが、女の苦しそうに歪んだ顔や懇願する態度に性的興奮を覚えた。
鞭のしなる音。ボンデージの衣装を着て甘えよる女。神谷の脳裏にさやかとの行為が回想される。
N:彼女に刺激を感じなくなったのは、限りなく自分の思い通りの「オモチャ」に近付いたからだ。私は自分が育て上げた「オモチャ」に煩わしさを感じ始めた。
神谷は病院のオフィスでさやかとの別れを思案していた。
N:彼女は私たちのルールを犯そうとしている。日常生活に彼女はいらない。非日常の中にいてこそ「オモチャ」なのだから。
N:最近になって、再三病院に掛かってくるさやかからの電話で神谷は別れを決意した。さやかの変化に危険を感じたんだね。神谷にとってさやかとは秘密の関係でしかない。それが崩れるのなら別れた方がいい。神谷はいつものバーにさやかを連れてきた。しかし、このバーから本当の苦しみが始まるとは思ってもみなかったはずだ。
「君が私に求めていることには応えられないよ。気持ちは嬉しいが君のためなんだ。わかるね?気持ちが離れてしまったとか、そういうことではなくて、僕らの関係は先を急いではいけないんだ。」
「先生のことをわかっているのは私だけです。」さやかはか細い声で答えた。
「私は今以上に、何も求めてはいない...」
神谷はそう言って水割りを静かに口に運んだ。
そんなとき、2人の背後の方から女の声がした。
「さやか...さやかでしょう?久しぶり〜。」
さやかが振り返えると、2人連れの女がいて、そのうち1人は懐かしい顔だった。
「私、美和。覚えてない?あ、1年振りだもんね〜。あ、偶然だよね。」
さやかは2人を紹介する。
「大学時代の友達の菊池美和さん。こちら大学病院の神谷先生。」
「え、先生?」
「初めまして。神谷です。」
神谷とさやかの席に美和が加わり、しばし会話がはずんだ。
「先生、私神経が高ぶって眠れないんです。何かいい薬ありませんか?」
「うーん、それは良くないね。あ、薬に関してはお役に立てると思いますよ。」
N:何事も達成するまでの時間が肝心...特に女については。
N:今の煩わしさから逃げ出したいと思っていた神谷に美和の出現は新鮮だった。それに美和は自分に関心があると神谷は思っている。女性にとって医者という肩書は魅力的だからね。
美和に約束の錠剤を手渡す神谷。
「先生、どうもありがとうございます。」
「いえいえ。しかし、彼女にこんな素敵な友達がいるなんて。どうです、今晩食事でもご一緒しませんか?」
神谷は美和の手を取り、優しく口説き始めた。
「うーん、せっかく誘ってもらったのに残念だなぁ。今日ね、約束が入っちゃっているんです。ごめんなさい。」
「それは仕方がないな。また誘っても構いませんか?」
「もちろんです!」
さやかからの電話に出た神谷は、ついにはっきりと態度に表すことにした。
「この際はっきり言おう。家族を捨ててまで君との関係を続けるつもりはない。仕事中なんだ。申し訳ないが電話を切らせてもらうよ。」
「私にも考えがあります。」
N:考えがあるってどういう意味だ?まさか家内に会うつもりか?それとも病院に?私に?
...彼女も大人だ。そんなに馬鹿じゃない。
N:さやかの行動は神谷にとって徐々に恐怖になり始めていく。そして、神谷はさやかに決定的な弱みを握られていることに気付く。社会的に抹殺できる彼の性癖をさやかは知っているんだからね。
さやかのマンションに美和が久しぶりに訪ねてきた。
「あの人が今のさやかの大切な人?奥さん、いるんでしょう?」
「奥様に先生は理解できない。」
「とても魅力的な人だものね。」
N:この日から神谷は再び自由を奪われることになる。
N:無言電話が神谷の自宅に連日掛かり始める。無言電話はどこまでも神谷を追ってくる。病院に、自宅に、神谷が秘密を知られたくない人のいるところに。
しかし、神谷を追う影は電話とは違う形となって彼の前に現れる。他人に見られたら全てを失う性癖の写真。彼は自分が縛った女の写真で、今度は身動きが取れなくなっていく。
神谷に送りつけられた手紙には、さやかとのSM行為のポラロイド写真が十数枚同封されていた。
N:手紙の次はFAX。神谷は全ての電話、手紙、FAXを自分の手で始末しなくてはならない状況に陥る。
さやかと一緒のときの写真がFAXとして延々と送り続けられる。
N:脅迫するつもりか?ここまでやるなら俺にも考えがある。これ以上は許さない。あの女のために...冗談じゃない。医者としての名声も私の家族も守らなくては。
N:神谷はもしかして病院中にこのFAXのことが知れわたっているのではないかと考え始めてしまう。明日にでも、いや今日にも自分は部長の席から転落するのではないか、仕事も家庭も全てを失ってしまうのではないかと恐怖に怯える。彼はいたたまれなくなり、さやかに電話を掛ける。
電話を掛けたが、生憎さやかは留守だった。神谷はやむを得ず、留守番電話にメッセージを残すことにした。
「君の気持ちはわかる。会って話合おう。これ以上馬鹿なことはしないでくれ。君の将来を大切に考えたい。もしも金銭的な要望があるなら喜んで協力しよう。」
N:立場は逆転した。今まで自由に操っていた「オモチャ」に今神谷は操られ始めた。神谷の精神は破綻し始める。
N:病院の連中に知られたら...どうにかしないと。
FAX用紙は散乱して、電話が覆いつくされそうになっている。
病院の廊下に巻き散らかされたFAXの紙。
神谷の車のフロントガラスにポラロイド写真。
もはや神谷には現実と妄想の境目もはっきりしなくなっていた。
N:神谷はさやかの行動が怖くなっていく。あまりにも常軌を逸しているからだ。しかし、会って話せば前と同じように従順なさやかに戻るかもしれない。わずかな希望を胸に神谷はさやかのマンションに向かう。しかし、チャイムを鳴らすとさやかではなく、バーで会った菊池美和が顔を出した。
「君...どうして?」
「先生こそ、どうなされたんですか?」
「あ、いや。小泉君が電話に出ないんで何かあったかと思ってね。」狼狽する神谷。
「やっさしいー。あ、さやかね、有給取って旅行に行きましたよ。私はお留守番。」
「いつ?」
「え?」
「いや、彼女が出発したのはいつ?」
「うーん、3日ぐらい前ですけど。」
「そう...私には何も言ってなかったかな。あ、旅行ならいいんです。どうもありがとう。」
N:あの女、俺をからかってるのか?何が有給だ。見付け出してやる。見付け出して...許さない。
N:神谷は疲労と狂気の中にいた。受話器は誰にも取らせず自分で取る。FAXの前に座り込み、送られてきたものは全て破り捨てる。看護婦たちの視線を気にする余裕すらなかった。電話は鳴り続け、FAXは送られ続けた。
精神が崩壊寸前の神谷。そんなところに写真ではない、文字だけのFAXが1枚送られてきた。
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あなたに会えてよかった。 さようなら。 |
N:待て...これは誰が見ても遺書として受け取れる。
N:これで全て決着がつく、精算されると神谷はさやかのマンションに急ぐ。確かにこの後決着はつくんだがね。
さやかは神谷が来る前にぐっすりと眠り込んでいた。
神谷は背後から起こさぬようゆっくりと近付き、首元にそっと手を伸ばした。
N:第一発見者の振りをして冷静に処置をする。後はそれなりに振る舞えばいい。
ところが、さやかを絞殺するまさにその直前に、警官が部屋に入ってきた。その場で取り押さえられる神谷。
N:何故?
「これが哀れな男の物語。直接現れないという、女ならではの嫌がらせは本当に嫌なもんだろう。」
「ええ。」
「神谷のような地位のある男にとっての最大の弱点は、その地位を失うこと以外にない。それを突いた女の作戦は最高の方法だった。」
「この神谷の物語もさやかの視点から見れば、ずいぶんと違ったものに見えるんでしょうね。」
「次は女の復讐劇...」
吹越が語ろうとするところで、吉田が機先を制す。
「その前にもう一杯いかがですか?」
「ああ。」
吹越は体制を立て直して微笑んだ。
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