| Photographer | 戸張 隆宏 | Writer | 猪浦 直樹 | Navigator | 吹越 満 | 吉田 朝 | ||||
いつもの庭園で吹越は悠然と紅茶を飲んでいる。そこへ吉田が颯爽と登場する。
吉田は微笑みながら何も言わず、椅子に腰掛ける。そして静かに語り始めた。
「こうやって一緒に午後のティータイムを過ごすようになってずいぶん経ちます。」
「ああ、そうだね。」
「おかげで私もいっぱしのTrap通になりました。」
「じゃあ、今日はとっておきのTrapを披露することにしよう。」
「それは楽しみだ。」身を乗り出す吉田。
「ミステリの中にサイコスリラーというジャンルがある。サイコもののミステリを複雑にするいちばんの要素は、人間の原始的な感覚である恐怖だ。」
「なるほど。」
「恐怖は人の感覚を研ぎ澄まし、あらぬ妄想を抱かせる。それがミステリを複雑にし真実を覆い隠す。」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってとこですな。」
「恐怖による妄想と現実の隙間に真実は隠れている。」
「妄想に騙されず真実を探すわけですね。」
吹越は写真を取り出した。
「そんな妄想を抱く人間を救う職業・セラピストの村上梢が今回の主人公だ。今回君に解いて欲しいのは、彼女が誰に殺されたのか?」
「なるほどやってみましょう。妄想に騙されないようにね。」
「彼女はまだ何も知らない。彼女に忍び寄る殺人者の足音を。彼女を巡る悲劇のエピローグも。
物語は人里離れた彼女の診療所から始まる。」
「きっとアンタ、誰かに殺されるよ。」
年老いた声の主の衝撃的な予言であったが、村上梢は動せずこれを受け流し、優しく語りかけた。
「ふふ、またその話?いい、よく聞いて。お婆ちゃんは...」
「アンタの、アンタのお袋さんも災難だったよ。」
「あら、私の母をご存じですか?」
「大の仲良しさ。姑さんも知ってるよ。」
「ああ、そうなんだ。」
「あんなことがなきゃ、もっと長生きできただろうに。」
「いやだ、お婆ちゃん。母はまだピンピンしてますよ。」
梢は本題を切り出した。
「村上瞳という人物はご存じですか?」
「瞳?ああ、さとさんの次男の娘だよ。」
「彼女はどんなお子さんでした?」
「瞳ちゃんは...アンタになついていたよ。どこ行くのも一緒だった。ああ、そうそう、アンタが海で溺れそうになったとき、最初に見付けて人に知らせたこともある。アンタのことが好きだったんだねぇ。」
「...覚えてないわ。」梢の顔に笑みが消えた。
「遠い昔のことだよ。」
「ところで、お婆ちゃんは今年でおいくつになられました?」
「私かい?数えで80だ。」
だが、その言葉を語るのは中学の制服を着た正真正銘の少女であった。しかし、若々しいはずの彼女の髪は白く色が抜けて落ちている。それが今の彼女の精神年齢をちょうど指していた。
N:この患者は私の従妹の村上瞳。彼女は今、自分が私の祖母の友人だという妄想に取り憑かれている。彼女の妄想は日を追うごとに多くなり、私に母と祖母の過去を語ってくれる。
瞳が帰った後、梢は留守番電話のメッセージを確認するためテープを巻き戻した。
「梢ちゃん、元気ですか?お母さんは相変わらずよ。...」
N:お母さん!どうして電話番号を?
「...病院のお食事は美味しくないし、先生は厳しいし、早くお前に会いたいと思っています。
もうすぐ梢ちゃんの誕生日ですね。おめでとう。プレゼント送っておきました。お母さんとお前の思い出の品です。2人だけの...」
ブチッ、ツー、ツー。留守電はここで途切れる。
N:私の記憶に父の姿はあまり登場しない。それは父親に触れさせないほど、母は私を離さなかったから...
梢は母からの小包を開いた瞬間、息を飲んでそのまま立ちつくした。
それは腕をもぎ取られ、ドレスや髪が焼けて焦げ付いたリカちゃん人形だった。
再び留守電に入ったメッセージが流れる。
「梢ちゃん、プレゼント見てくれた?懐かしいでしょう?梢ちゃんが可愛がっていたお人形です。
梢ちゃんがいなくなったから、代わりにその子をお仕置きしました。」
N:母は私の裏切りを許してないのかもしれない。母の愛情に耐えかねて人里離れたこの診療所に母から逃げ出すために移り住んだことを。
お母さん、1人にしたからおかしくなったの?
「お母さんを1人にしたから、お仕置きをしておきました。」
N:お母さん...
「片方の手はお母さんが持っています。梢ちゃんに会うまでは大切に取っておきますね。梢ちゃんの手と交換するまではね。」
N:母はどうしてしまったの?私にどうしろというの?まさか昔と同じように母は私と無理心中を?
「梢ちゃん、梢ちゃん、お母さん、とっても寂しい。一緒に死んでちょうだい。そうすればずーっと一緒にいられる。一緒に死んでくれるよね。梢ちゃん、梢ちゃん。」
翌日、梢は警察病院の精神病棟におもむく。
「突き当たりを右に行って下さい。十分気をつけて。」
「どうもありがとう。」
奥へ進む梢。看護人はすぐさま入り口の鍵を閉める。ガチャリと音が廊下に響きわたる。彼は静かにつぶやく。
「あの人も変わった人だ。」
梢はそのまま進む。梢の足音が廊下の壁に反響する。
N:度重なる母からの電話に、私は恐怖よりもむしろ好奇心をかき立てられた。セラピストという職業が母の異常な心理状態を一つの症例として私の好奇心に火をつけたのかもしれない。しかし私の力では母の心理状態を解き明かすことは不可能だ。解き明かせるとすれば、彼女しかいない。
2年前、世間を震撼させた幼児連続殺人事件が起こった。頭のない幼児たちの死体が次々に発見されたのである。犯人は当時27歳の精神分析学者・川端涼子。彼女は幼児期における心理作用と脳がどう関係しているかを研究するため、研究材料として幼児の脳を集めていたのである。
梢はある独房の前に行き、その檻の前にある椅子に腰を掛けた。
「一月早かった。」
「来るのわかってたの?」
「相変わらず質素に暮らしているみたいね。靴は新調したけど、あまり履いていない。歩いてくる靴音でわかる。服も香水も地味にして目立たないように工夫している。誰からも見つからないようにね。お母さんに見つかるのがそんなに怖いんだ。」涼子は冷笑した。
「そんなことないわ。服も香水も偶然よ。」
「あなたは人との接触を怖がっている。自分自身の中に閉じこもろうとしている。だから人里離れた別荘に引っ越した。自分の患者にしか場所も電話番号も教えない。肉親にも、友人にも..」
「もうやめて。」マシンガンのようなスピードで語る涼子の言葉は梢の心を切り刻む。
「自分の患者には自分のことを話さずに済む。相手の話を聞いてればいい。自分自身のことは話したくない。考えたくもない。」
「やめて。」
梢は涼子の言葉に堪えきれず、耳を覆ってその場から立ち去ろうとした。
「あなたはまた来るわ。どうしようもなくなって。」
別荘へ帰宅すると、留守番電話には再びメッセージが残っていた。
「梢ちゃん、お母さんを捨てるつもりなのね。あんなに可愛がっていたのに。殺してやる。私を一人にしたら。殺してやる。待ってなさい。」
N:お母さん...お祖母ちゃん、助けて。
梢の懇願に応えるかのように、別のメッセージが吹き込まれた。
「梢、梢かい?お祖母ちゃんだ。お前のお母さんが病院からいなくなったよ。あの嫁は昔から勝手なんだから...」
N:お母さんがいなくなった?私を殺す?まさか...
「...私の息子をたぶらかして結婚して、挙げ句の果てに邪魔者の私を坂から突き飛ばした。今でも杖なしでは歩けないんだよ。
殺してやる。息子を取ったアイツを、必ず。」
「梢ちゃん、お母さんです。もうすぐあなたのところへ行けそうです。待ってて下さい。」
「病院から電話が鳴りっぱなしだよ。お前の母さんのせいだ。復讐してやる。アイツの可愛がっていた一粒種のお前を殺してやる。アイツがいちばん大切にしているお前を。」
梢は2人の肉親の殺意に打ちひしがれた。
梢は再び涼子のもとを訪ねる。涼子の予言は見事に的中した。
「やっぱり来たのね。初めから話すの。」
「ええ。」
「なるほど、あなたのお母さんとお祖母さんは同一人物よ。」
「ええ?」
「全てが2重人格の形成の仕方と同じよ。多重人格者の頭の中には真っ暗な部屋があって、その部屋には一本のスポットライトが落ちている。ライトに当たるいくつもの人格が同居しているの。それぞれの人格は押し出あうようにスポットの中に現れ、2つの人格が同時にスポットの中に現れることはない。いくつもの人格はお互い暗闇で牽制しあって、ときに憎しみあったり。だから他の人格がスポットの中にいるときは本人にはそのときの記憶が全くないことが多い。その症例とあなたのお母さんの例はとても似ている。」
「じゃあ、母は2重人格?」
「そういうことになる。」
「じゃあ、何故私を殺そうとしているの?放っといたから?一人にしたから?」
「それは...自分で考えるのね。」
「教えて。」
「私が教えることはもう何もない。」
「お願い。」
「自由時間なの。この部屋を出られる唯一の時間なの。」
「お願い、教えて。」
檻の格子にすがりつく梢だったが、涼子はそれ以上何も教えてはくれなかった。
「梢は母の殺意を確認した。」
「梢の母は2重人格だったんだ。」
「一概にそうとは言えない。涼子の勘違いとも考えられる。」
「しかし、彼女の論理には説得力があった。」吉田はかごに入ったリンゴを腕を組みながら見ている。
「ところで、前から気になっていたんだが、君は腕を組んでいつも何を見ているんだい?」
「私もあなたにならってTrapを仕掛けていたんです。」
「ほう。」
「ずいぶん前からね。」
「じゃあ、君のTrapに僕も挑戦することとしよう。しかし、その前に僕のTrapを君に解いてもらう。」
吉田は微笑み、紅茶にもう一度口を付けた。
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